いそがしい時代です。 時間に追われ、人にせかされ、 責任を背負わされ、休むひまもない時代です。 電車は一分も待ってはくれません。乗り遅れたら最後、 遅刻のため、憂うつな一日になってしまいます。 ふと思うことは、自分が休むことなく回り続ける時計の 歯車のようだということ。 回り続け、回り続け、回り疲れて動かなくなった後は、 ただのゴミのように捨てられるだけなのです。 疲れた疲れたと言いながら、それでも人は働かなければなりません。 それが私達の生涯なのでしょうか? 休み場 イエス・キリストは私達にこう語られました。 「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、 わたしのところに来なさい。私があなたがたを休ませてあげます」 マタイの福音書11章28節 多くの教会の看板に書かれている言葉でもあります。 「疲れ」には二つの種類があります。 肉体的な疲れと精神的な疲れです。 肉体的な疲れは休養を取ることや睡眠を十分に取ることによって 回復することが出来ます。 しかし厄介なのは精神的な疲れです。 人間関係の問題、家庭の問題、そして自分自身の問題が おもなものでしょう。精神的な疲れが積み重なると、精神障害を 起こしたり、不眠症になったり、自己卑下の毎日になったりします。 気晴らしで、カラオケで歌ったり、レジャーを楽しんだり、 酒に酔ったりで解消することは出来ても一時的で、 それはすぐに再びおそってくるのです。 特に自分自身のことで悩んでいる人は多いはずです。 人を愛する事ができない、憎しみを捨てる事ができない、 ゆるす事が出来ない、犯してしまった罪のため苦しんでいる、等々。 しかし、聖書を読んでいると分かることは、そのような罪ぶかい 自分に気づいている人は幸いであるという事です。 悪い事をしていながら何とも思わない人こそ本当にみじめな人なのです。 そのような人にたいしての神の救いはありません。 あなたが自分の弱さ、醜さ、汚さに気づくときに、 救いがあなたに必要である事が分かるからです。 イエス・キリストは、力強く 「すべて疲れた人、重荷を負っている人は私のところに来なさい」 と言われました。誰がこのように言えるでしょうか。 罪ある人間は決してこのように言う事は出来ないでしょう。 それではなぜキリストは私達の問題、悩み、苦しみを分かり、 解決してくれるのでしょうか? なぜ救い主? 一つは、彼が悲しみの人であったからです。 人の罪から来る苦悩、神様を知らないため希望がないこと、 そして死という悲しみと、人の上にくだる神の裁きを 知っておられたゆえ、幾度も彼は涙を流されました。 二つ目に、彼は苦しみの人でした。 多くの人の罪の身代りとなって十字架に掛かり、 死ぬ事を彼は選ばれました。あざけりを受け、つばきをかけられ、 殴られ、十字架に釘付けにされても彼は決してののしりの 言葉を口にされませんでした。かえって人々のために祈られたのです。 三つ目に、彼は死に勝利されたからです。 彼は十字架刑の後、墓に葬られました。 しかし神はこの方をそのまま捨てておられず、墓の中より 三日目によみがえらせました。そのことによって彼が私達にとって、 間違いなく救い主である事を証明されたのです。 死に打ち勝ったかたこそ、私達の死の問題さえ解決できるのです。 次の聖書の言葉は真実です。 「主は〈キリスト〉、御自身が試みを受けて苦しまれたので、 試みられている者たちを助ける事がおできになるのです。」 ヘブル2章18節 彼に信頼する者は決して失望させられる事がありません。 あなたの重荷をイエス・キリストは解決してくださいます。 |