| 『あなたの信じているものは何ですか?』 コロサイ2章 [お米一粒の中には7人の神様がいるから、ごはんは残さずきれいに食べなくちゃいけないよ。] そのように私たちは言われて、信じる信じないは別として何の抵抗もなく受け入れていました。ご飯はありがたいもの、神様はありがたいものというつながりからです。[米1粒に7人の神様がいる]それが何百粒、何千粒と入った一杯のご飯。これがもしカレーライスで、「福神漬け」まで添えられていたら、誰が考えても縁起がよいでしょう。しかしよくよく考えるなら、なんともへんてこな教えです。食物の大切さを教えるために、神様を勝手に引っ張り出し、最後には食べてしまう。私たち日本人の神概念とはこのようなものではないでしょうか。 多くの人々は、「信心することが大切であって、何を拝むかはその人次第」と言います。 「どの宗教もすべて同じ目標を持っている。それは私たちが幸せになることです。だから信心することが大切・・・」と。まことしやかな議論です。そのため私たちはインスタントで神を作れると思っているのです。てるてる坊主はその一例です。実はこの曲には三番まで歌詞がありますが、その歌詞は恐ろしいものです。 「てるてる坊主」 1 てるてる坊主 てる坊主 あした 天気にしておくれ いつかの夢の 空のように はれたら 金(きん)の鈴あげよ 2 てるてる坊主 てる坊主 あした 天気にしておくれ わたしのねがいを 聞いたなら あまいお酒も たんと飲ましょ 3 てるてる坊主 てる坊主 あした 天気にしておくれ それでも曇って 泣いてたら そなたの首を チョンと切るぞ 神様への祈りというより脅迫です。 理解していただきたいのは、「信じること」が大切なのではなく、「何を信じるのか」が大切なのです。 私は学生時代に哲学の授業を受けたことがあります。小学校や中学校ではなかった授業ですから、興味しんしんで聞いていました。学んでいくうちに、物事を突き詰めて考えていくという哲学は、解決のない言葉の羅列にしか受け取れない気がしました。いくら学んでも反論があり、またその反論があります。その繰り返しで、真理は一向に見えません。 聖書に登場するコロサイと言う町では二元論的な考え方があったようです。すべてを二つに分けて考えます。天と地、悪と善、物質と霊・・・というように。この当時の人々は次のような考えがありました。「目に見えるものは私たちを惑わすので悪、目に見えないものは善である、つまり神は善であり、物質は悪である。だから神は物質を創らなかった。神は精神的な存在である。また人間は肉体を持っているので神と直接交わることは出来ないので、御使い(天使)に祈るべきである・・・。」 このような背景からコロサイの町では御使い礼拝が盛んになっていったようです。そして御使いが目の前に現れたとか、御使いから啓示を受けたとか言う人々が現れました。不思議な体験談はいつの時代でも、いくらでも出てきます。 使徒パウロはこれらの考え方を、否定して次のように言っています。 2:8 あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。そのようなものは、人の言い伝えによるものであり、この世に属する幼稚な教えによるものであって、キリストに基づくものではありません。 あなたの信じていることはどうですか? ただの言い伝えであったり、哲学的な思考からひねり出された思想ではないでしょうか。あなたの信じていることは真理でしょうか?あなたにとって本当に大切なことでしょうか?ぜひ考えてほしいのです。 宗教者には、律法主義、禁欲主義になっている人々がいます。肉体の苦行をし、あれをしてはいけない、これはしなければならない、と言い、食べるものにも規定を設けます。謙遜を強い、慈悲深くあれと言いながら金を出せと命じます。そして好き勝手な礼拝をするのです。 そのような宗教に、神の祝福など決してあるはずがありません。 聖書はこう書いています。 2:21 「すがるな。味わうな。さわるな。」というような定めに縛られるのですか。2:22 そのようなものはすべて、用いれば滅びるものについてであって、人間の戒めと教えによるものです。2:23 そのようなものは、人間の好き勝手な礼拝とか、謙遜とか、または、肉体の苦行などのゆえに賢いもののように見えますが、肉のほしいままな欲望に対しては、何のききめもないのです。 先日、教会のバイブルキャンプでのことです。 私は久しぶりに会うことの出来た青年クリスチャンに「明日の朝、一緒にディボーション(お祈り)しましょう。私は毎朝ディボーションの時を持っていますから」と話しかけました。 「いいですよ。何時ですか?」 「6時にしましょう。」 「うっそー、早いなー」 次の日の朝、起きて祈ろうとしたところ、約束とおりその青年も来て下さいました。 『先生、本当にするんですね。』と眠たそうに目をこすりながら祈りに加わってくださいました。 後日、彼からメールがあり、 「先生ともった朝のデボーションは今もずっと継続しています。ずっと午後や就寝前のデボーションが多かったのですが、やっぱり朝は良いですね。ありがとうございました。」といううれしい言葉が書いてありました。 信じている神様のために、これをしていこうと計画し、実行していくことは律法主義とはべつの次元のものだと信じます。神様はそのような働きを必ず祝福してくださいます。 「あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。」聖書より コロサイ3:2 |