この聖書箇所は、宣教を志す人たちにとって励ましとなり、心ゆすぶられる箇所です。よい事をつげ知らせる人の足はなんと立派でしょうと、聖書が励ましてくださる。
一、信仰は聞くことから始まる
ローマ10:17 そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
昨年末にバイブルスキースノーボードキャンプを乗鞍高原のノーススターにおいて行なった。車での移動はトラブル続きでしたが、大変祝されたキャンプでした。多くの人がボードレッスンを受けて上達した。私は三回目の挑戦でしたが、なかなか上達できなかった。滑っている途中で、レッスン指導の方と一緒にリフトに乗ったとき、『なかなか難しいですね』というと『牧師先生はどうしてレッスンを受けなかったんですか?』と聞かれた。『節約しようと思ったんです。』というと、指導員の方は、『レッスンを受けたほうが節約になりますよ、一回レッスンを受けると、四回くらい滑った人と同じくらい上達しますから。最初は教えてもらうことが大切ですよ。』と言われた。私は確かにそうだなと思った。なぜなら初日にばたばた倒れていた人たちがレッスンを受け、三日目にはすいすい私の横を追い抜いて滑っていくのを恨めしく思ったから。
確かに教えてもらうこと、聞くことは大切です。そして今日の聖書箇所も全く同じことを言っている。
この天地万物が偶然にできたものでなく、創造者によって創られたことや、イエス・キリストが人となられ、救いの道を備えるためにこの世に来られたこと。人は修行によってその救いを得るのではなく、信仰によることなど、聞かなければ分からない。日本人の多くはキリスト教を知っているが、何を教えているのか分からない。その理由は、真剣になって教えてくださる人がいないから。「皆さん、ご存知でしょうか?イエス・キリストは本当に墓の中からよみがえられたんですよ」、といってくれる人が必要。
二、宣べ伝える人が必要
神様は宣べ伝える人をいつも募集しておられます。宣べ伝える人がいなければだれも救いを知ることがなく、みな地獄の滅びへ行ってしまうのです。神は宣べ伝えることを志す人を必要としておられるのです。
そして同時にその志を持った人を、教会がサポートして遣わす必要があるといっています。そのため多くの教会では宣教団体を設け、宣教師、開拓伝道師をサポートしている。遣わされる人と、その人のために献金をし、祈りサポートして遣わす人、どちらの働きも尊い。あの『祈りの手』のエピソードは全くこのことを示すのに素晴らしい話。
私たちの教会から、海外宣教者8家族、国内開拓者2家族、国内宣教団体2団体に対して毎月サポートしている事は、本当に素晴らしいことであると思う。それも少しの間ではなく、ほとんどの場合、途切れることなく宣教開始されてからずっと支援してる。この教会からもさらに遣わされる人が起こされるなら素晴らしい。男性だけでもない。女性でも今は一人で海外宣教者として働いておられる方々が多い。若い人だけではない。年を取ってからでも遅くはない。定年退職後は、絶好の宣教のチャンスです。年金をもらえるようになれば経済的にも心配せず、遣わされる事ができる。これから高齢化社会になって行くのですから、高齢者に若い伝道者が説教しても耳に入らない。しかし同じ高齢者が福音を語るなら、受け入れやすいのです。
三、私たちが宣教する熱意はどこから
それは真理と愛から起こって来るものです。。
ヨハネ18:37 わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。 ピラトはイエスに言った。「真理とは何ですか。」
聖書の言葉は真理だから。もし聖書が間違いだと思うなら、ぜひ調べてください。
ローマ8:35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。8:36 「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。8:37
しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、8:39
高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。8:35−39 それは私たちを愛し、私たちのために身代わりとなって死んでくださったキリストの愛です。
私たちはキリストの愛の中にあるのです。
パウロはコリントの中では、福音宣教について『どうしてもしなければならないものだ』と語っている。
Tコリ
9: 16「というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。」
イエス・キリストも同じように『どうしてもしなければならない』と語られた。
ルカ4:43「しかしイエスは、彼らにこう言われた。「ほかの町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから。」
神から与えられた使命として宣教している。その通りにイエス・キリストは血眼になって宣教を続けられた。宣教が進むにつれ、人々が大群衆になって押し寄せてくるようになり、働きが多くなったため、9章では、12弟子を任命して宣教に遣わされた。10章では70人を別に任命して使わされた。現在はもっと必要です。
2002年統計 日本のプロテスタント教会数 7765教会 人口数を教会数で割ると16288人にひとつの教会がある。
教会密度が最も低いのは佐賀県で、29教会があり、30368人に1教会しかない。教会密度が最も高いのは沖縄県で、218教会があり、6161人に1教会がある。
16288人に対して1つの教会。私たちは1教会として最低でも16288人に対して福音を伝える使命を果たさなければならないことになる。私たちの伝道は十分でしょうか?
四、私にできるの?
『私なんか何の役にも立たない・・・』と多くの人は心配する。モーセをはじめとして、イザヤ、エレミヤ、エリヤたちは、自信がなくて尻込みした。モーセは口下手、イザヤは自分は汚れた者だと嘆いた、エレミヤは自分は若くてどう語ったらいいかわからないと言った。エリヤは人を恐れ、もうやめたい、死にたいと言った。彼らは後にどうなったのですか?神に用いられた人々となった。宣教をすることに導かれるなら、神はあなたに賜物を無限に与えられる。だから大丈夫。福音の言葉に力があることを信じて宣教に携わりましょう。