一、緒論
今日選んだ御言葉はマタイの福音書で語られているイエスさまの言葉です。これはイエスさまの招きの言葉です。2004年の十(重)大ニュースを見てみる。
@もっとも大きな出来事は、新潟中越地震。今もまだ被災地で苦しんでおられる方々がおられる。皆川亮太君の救出の瞬間をテレビで見ていて感動した。
A今年の夏は猛暑。12月でも暖かい日々が続いた。
B台風史上最多。10個。被害も大きかった。
Cイラク問題。日本の海外派兵
D北朝鮮拉致被害者帰国。
スポーツ芸能関係では、
Eアテネオリンピックの年。谷亮子、野村三連覇、室伏幸治、男子体操団体、
Fイチローがメジャー年間最多安打記録をマーク。
Gプロ野球再編問題。パリーグに楽天参入、ライブドア落選。
H韓国ブーム。とくに冬のソナタ、ぺ・ヨンジュン
Iお笑い漫才ブーム。エンタの神様
私たちの生活はというと、ますます厳しい環境になっている。多くの企業は生き残りをかけて合併したり、リストラを断行することにより業績を維持している。そのため社員の仕事はきつくなり、給与は安くなる。下請けはさらにきつい。その上増税続き。さらに地震、台風、自然災害によって冗談抜きで足元から揺さぶられている。
だから私たちは夢を見たいのでしょう。イチローや日本オリンピック選手のように夢をかなえている人たちの活躍を見て感動する。ヨン様にあこがれる。小さな夢を見てパチンコへいく。大きな夢を見て宝くじを買う。後はお笑いでいやなことを吹き飛ばそうとしている。そんな年ではなかったかと思う。
人の持つ苦しみや重荷はそれぞれ違う。その人の苦しみはその人でなければわからない。経済的なこと、精神的なこと、罪悪感、人との付き合いのことかもしれない。容姿のことで悩んでいる人もいる。ただ言える事は重荷を負ってない人はいない。そのような私たちに、イエス・キリストは『私があなた方を休ませて上げます』と言っておられる。
ここには三つの命令形がある。
@わたしのところに来なさい。
A私のくびきを負いなさい。
Bわたしから学びなさい。
@まずわたしたちがなすべきは、イエスのもとに行くこと。理由は何でもよい。罪の呵責でも、人生の苦労、心のより所としてでも。イエスさま、助けてくださいと求めることが大切。
『休ませる』という言葉・ギリシャ語『アナパウオー』は、竪琴の弦をゆるめることから来ている。
Aくびきを負うとは、舵取りをしてもらうことである。自分の誤まった歩み、考えをやめて、イエス・キリストに導いていただくこと。それは決して重荷とはならない。
B学びなさい・・キリストの弟子として歩むこと。そうすることにより、魂が平安になる。
イエス様が命令形で語られる理由は、彼がまことの救い主であり、あなたの命を握っておられる方であるから。彼こそ十字架にかかりあなたの罪の刑罰を身代わりに受けてくださった方であり、三日後に死者の中からよみがえったお方だからです。すべての権威を与えられ、神の右の座におられ、24時間体制で神とあなたの仲保者として執り成しておられるかただから。神の子ですが、あなたの苦しみが分からない方ではない。彼は人としてこの世に来られ、大工の子として生活され、人々からののしられ、弟子たちから裏切られ、十字架という残酷な死刑執行を受けられ、人の受ける苦しみすべてを味わわれた方だからです。彼こそ私たちに同情でき、慰めることのできるかたなのです。
しかし、多くの人々はイエス・キリストにつまづくのです。神なんかいるわけがない。救い主なんて私に必要ない、と。この11章にはキリストにつまづかないものは幸いであることが語られている。
○ヨハネの弟子たちに対して
11:3 イエスにこう言い送った。「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、私たちは別の方を待つべきでしょうか。」11:4 イエスは答えて、彼らに言われた。「あなたがたは行って、自分たちの聞いたり見たりしていることをヨハネに報告しなさい。11:5
盲人が見、足なえが歩き、らい病人がきよめられ、つんぼの人が聞こえ、死人が生き返り、貧しい者には福音が宣べ伝えられているのです。11:6 だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」
○何をしてやっても人々は受け入れない。
11:16 この時代は何にたとえたらよいでしょう。市場にすわっている子どもたちのようです。彼らは、ほかの子どもたちに呼びかけて、11:17 こう言うのです。『笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってやっても、悲しまなかった。』
○ベツサイダやカペナウムの人々に対しての怒り
11:20 それから、イエスは、数々の力あるわざの行なわれた町々が悔い改めなかったので、責め始められた。11:21 「ああコラジン。ああベツサイダ。おまえたちのうちで行なわれた力あるわざが、もしもツロとシドンで行なわれたのだったら、彼らはとうの昔に荒布をまとい、灰をかぶって悔い改めていたことだろう。
彼らは奇跡を目の当たりに見たのに信じなかった。魔術、奇術と片付けた。現代でも同じでしょう。イエスが人を生き返らせたとしても、人々は信じようとしない。芝居だと思う。疑う人はとことん疑う。その人にとって歴史は何の意味もない。人の愛も信じることが出来ない。哀れな人である。だからイエスは、『私につまづかないものは幸いである』と語られた。
初代教会において信仰を持った人の中でステパノという人がいました。彼は信仰と技において優れた人で、イエス・キリストのことを大胆に証しした。当時のユダヤ教の人々から敵視され『ユダヤの秩序を乱すもの』として捕らえられ裁判にかけられた。使徒の働き7章1〜
ステパノはアブラハムに始まり神がどのようにイスラエルに語り、導こうとされたか、そしてイスラエルがどのように反逆してきたかを述べた。
7章51節〜60節
その結果、彼は最初の殉教者となった。彼はイエス・キリストにつまづきませんでした。人に責められても、命をとられることになってもイエス・キリストに対する自分の確信を曲げることはありませんでした。彼はキリストを信じ、キリストの元へいき、キリストのくびきを負い、学んだのです。彼は今天国にいて、主の恵みを受けている。
もしあなたがイエス・キリストのことを聞いて、彼を救い主として信じるなら、彼にあって本当の平安を与えられることを確信してください。イエス・キリストにつまづかないでください。キリストがあなたに休みを与えてくださいます。解決できそうもないことでも祈りによって大きな変化があります。もし自分だけでは無理なら教会の人々に祈ってもらいなさいとあります。教会の兄弟姉妹が信仰という大盾を持って、あなたのために祈ってくださる。悪魔の放つ火矢さえ打ち消す。祈りは奇跡の始まりです。
もしあなたが今何かで苦しみ疲れているなら、それはイエス・キリストを知る素晴らしい機会です。何かの重荷を背負っていて倒れそうなら、あなたの救い主を知る大きなチャンスです。聖書の言葉に耳を傾けてください。そこにはあなたを愛し、あなたを招いておられる神の言葉が書かれてあります。このかたにあって私たちは命を得、休みを得ることができます。