私たちの教会には、ブドウがいっぱいです。教会の裏庭にあるブドウの木は毎年秋には多くの実を結びます。講壇にもブドウの絵が彫られています。窓も壁紙もブドウの絵柄です。揃えたわけではないのですが、自然とそうなりました。
イエス・キリストは私たちにブドウのたとえを話されました。ブドウを見るたびその言葉を思い出します。しっかりとブドウの木につながっているブドウの枝は私たちなのです。
「わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。
わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。
あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。
わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」
ヨハネの福音書15章:1-5節